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成田東峰十字路事件

 

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成田東峰十字路事件から半世紀──

現場にいた若き巡査の証言

1971年9月16日、千葉県成田市で発生した「東峰十字路事件」は、成田空港建設に反対する市民・学生と、建設を進める警察・国家権力との間で起こった激しい衝突でした。 この事件から50年を迎えるにあたり、当時22歳の神奈川県警の若き巡査だった唐鎌茂夫が、初めてその体験を語りました。

「惨状に絶句した」──衝突の最前線で

事件当日、現場では火炎瓶や投石が飛び交い、警察隊と反対派が激しく衝突。 唐鎌巡査は、初めて向き合った暴力的な現場に「ただ茫然と立ち尽くすしかなかった」と振り返ります。 現場で同僚の警察官が火炎瓶で命を落とすという悲劇を目の当たりにしながらも、心の中には「これで良かったのだろうか」という迷いが消えなかったといいます。

「もっと話し合えたはず」──後悔と反省

当時の行政や警察の対応について、唐鎌巡査はこう語ります。

「もっと膝を交えて住民と話すべきだった。現場の声に耳を傾ける努力が足りなかったと思う。」

空港建設という巨大プロジェクトの陰で、生活の場を奪われた人々の声が十分に届かなかったことへの反省が、今も強く心に残っていると述べています。

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成田闘争と十字路事件について

成田空港建設をめぐる社会運動の記録

1960年代後半から1970年代にかけて、千葉県成田市で計画された「新東京国際空港(現・成田国際空港)」の建設に対し、地元住民や支援する市民・学生らが激しく反対した「成田闘争」が繰り広げられました。 その中でも特に象徴的な事件のひとつが、1971年9月16日に発生した「十字路事件」です。

十字路事件とは

1971年9月16日、成田市三里塚地区の交差点(通称「十字路」)において、空港建設に反対する人々と、建設のための測量業務を警備する警察との間で大規模な衝突が起こりました。 この日、反対派の市民や学生たちは、投石や火炎瓶を用いて警察に抵抗。一方、警察側も催涙ガスや警棒などで排除を行い、現場は混乱を極めました。 この激しい衝突により、警察官1名が死亡、100名以上の負傷者が出るなど、成田闘争の中でも最大級の流血事件となりました。

社会への影響

この事件は、空港建設という国家事業と、それに反対する市民の権利運動との深刻な対立を象徴する出来事として、全国に大きな衝撃を与えました。 その後も反対運動は長期化し、成田空港の開港は当初予定から7年遅れ、1978年にようやく第1期開港となりました。

今に伝えるもの

成田闘争および十字路事件は、日本の戦後民主主義や公共事業における合意形成の在り方を問い直す歴史的な出来事として、現在も語り継がれています。 当時の出来事を知ることは、「開発」と「地域住民の声」の関係を考えるうえで、今なお大きな意味を持ちます。